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気前の良さはすべての欠点を隠す-実際に見たアラブの格言

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  アラブのお宅に招かれると、過大な歓待を受けることがしばしばです。何かお礼の言葉を言いたくなりますね。私たちの習慣では、趣味が良い家具、調度品などを見るとついほめ言葉が出ます。アラブでは、このほめ言葉は「これが欲しい」ととられかねません。 さる人の話では豪華な食器戸棚を褒めたがために、翌日それが送られてきたとの事。その人はそれを上回るお礼をしなければならなかったので苦慮したそうです。  だから奥さんをほめたらどうなる事でしょう?大変な誤解を生むこととなりかねません。 したがって奥さんは料理が旨いとか、 奥さんに宜しくなど、私たちが普段口にするセリフはつつしんで、ご家族によろしく位にとどめたほうが良いと思います。  私も、さる会合の席でアラブ人がいつも右手に持っている数珠 (注) を「それは何だ?」と問うたところ、翌日、事務所に持ってきてくれました。 眼を白黒する私に彼は「これを貴方にあげるから、アッラーの名を毎日唱えなさい」と置いてゆきました。なにかお礼をしなければ、と戸惑う私に「貴方がイスラムに帰依する日を待っています」と笑顔で帰っていきました 。(これは別の目的でしたね) 注)  イスラムの数珠(スブハ)は33個の珠が結ばれています。 敬虔なイスラム教徒はそれを右手に持って、一つずつ廻しながらアッラーの名を唱えます。 アッラーの名は99あるので3回廻すわけです。 左手は不浄の手ですから使いません。 一方、仏教では数珠は左手に持って右手をそえて念仏を唱えます。キリスト教(カトリック)のロザリオは「主の祈り」と「聖母マリアに捧げる祈り」のためのもので10連の珠が5つ繋がっています。        物惜しみはアラブではご法度なのでしょう。だから、アラブ人は一見見栄坊に見えます。  結婚祝いには、息子の場合は葉巻、娘の場合はチョコレートを持ってきます。そのうちにアイツは葉巻1本だったが俺は2本、 アイツがそうするなら俺はハバナの高級品、チョコレートだけでなく高級なお菓子もつけてと、どんどんエスカレートしてしまい、私のデスクの中はそれらで一杯になってしまいました。    アラブの家庭は子沢山ですから、毎月のように結婚式があってもおかしくありません。これらのお祝いは給料の差には反映しませんから、たまったものではありません。そこで、結婚のお祝いは、その人の主催で朝食会を催す

九州のキリシタン大名有馬晴信の終焉の地がなぜ甲斐の国(山梨県)なのか?

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   2012年5月6日、山梨県甲州市大和村でキリシタン大名の有馬晴信没後四百年記念祭が営まれた。晴信 謫居(たっきょ)の地の記念碑前では有馬家27代当主を始め、晴信ゆかりの人々や地元の人たち、カトリック関係者等約100人が参列しその業績と生涯を偲んだ。カトリック司祭による式典のあと、当時のイエズス会マテウス・デ・コウロスが1612年にローマに送った年報からドン・ジョアン(ヨハネ)有馬晴信の最期の様子(要約)が朗読され記念の植樹が行われた。  長い歴史を受け継いできた晴信ゆかりの人々ー 有馬家の当主、晴信の妻、菊亭ジュスタの子孫、天正遣欧少年使節の千々石ミゲル、中浦ジュリアンの子孫の方々ー が全国から集まり、終焉の地を代々守ってきた有賀(あるが)ご一家と一堂に会したのは初めてではなかろうか。   有賀家にはご先祖の善左衛門に晴信の娘(菊亭大納言の娘ジュスタとの間に生まれた女性)が嫁いだそうである。 その縁で1800年頃から有賀家には有馬丸岡藩からの使者が晴信の命日に裃袴の正装で献上品を携え参上し、同家に2~3日滞在したそうである。   註:謫居(たっきょ)とは罪によって自宅に引きこもったり遠くの土地に流されたりすること    今回行われた記念祭の場所は晴信謫居の地であり墓所ではない。その遺骸がどこに埋葬されたか定かでないからである。 マテウスの年報(翻訳)では、緞子を張った晴信の棺は妻のジュスタと家来、また幕府の検査役2名と従者がこれに従い、近くの敬虔な場所(お寺か墓場であろう)に運んで埋葬したとある。この時、雨が降っていたが故人に対する畏敬の念から誰も頭を覆うものはなかったー と記されている。  ちなみに記念祭でも式典の開始直後、短時間ではあったが突風と雷、激しい雨に見舞われた。これは単なる偶然の一致なのであろうか。  不思議に思うのは、九州のキリシタン大名であった有馬晴信の終焉の地がなぜ遠く離れた甲斐の国にあるのかである。そこで当時の歴史を振り返ってみるこ事としたい。 キリシタンとなった有馬晴信      有馬晴信(有馬修理太夫ともいう)は長崎島原の日野江(原)城主であった。キリシタン信者であった彼の父義直(アンドレス)の死去したあと、1580年(天正8年)晴信はヴァリアーノ神父により受洗した。霊名は当初プロタシオとしたが、のちにジョアン(ヨハネ)とあらためた。

悪口を言うヤツの悪口を言ってやろ

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  悪口には人を傷つけるものから同じ言葉でもそうでもないものがあります。馬鹿ね貴方は、おばかさん、ば~か、までは   えへへ  ですみますが、バッキャロ~テメエ! バカッ! になると人は怒り出してしまいます。なぜ悪口には動物に喩える事が多いのでしょうか。ウマ、シカ、ロバ、ブタ イヌ、サル いずれも人間に役立つ動物たちです。そのような動物達に容貌体型や動作が似ているから蔑むのでしょうか。このパンダヤローといっても誰も怒りませんが。  植物を悪口にする場合もありますね。 オタンコナス、ドテカボチャ ダイコン(足)アオビョウタンなど人の栄養となる野菜が悪口のもとにされるのは気の毒です。  ゴキブリやヘビ、ゲジゲジの類が悪口に置き換わるのは分かります。でも、我々がすぐ口にするのは日頃よく目にする動植物の類ぐらいです。どうも日本人が言う悪口は上品すぎるのではないでしょうか。  このように日本では喧嘩になってもたいした罵詈雑言がないので、すぐに言葉に詰まってしまってポカリと手が出てしまうのでしょう。江戸時代の長屋の熊サンや八ッアンもいつもおかみさんにがみがみ言い負かされています。どうもクチでは勝てないのでその鬱憤晴らしに喧嘩っ早いのだと思います。(これは私の個人的な見解です)  外国では人に対する罵詈雑言のたぐいは山ほどあります。 中国では喧嘩はまず「このスッポン野郎、くされ卵」から始まって相手の非をなじる口げんかが延々と続くそうです。これは喧嘩相手に言うのではなく周りの人に聞かせて、いかに自分が正しいかをアッピールするものですから先に手をだした方が負けです。皆の支持を得られません。大義名分がものを言うわけですね。  アラブでは相手の悪口を詩に書いて送り届けます。言われた相手も知恵を絞って美辞麗句?で悪口を書き連ねた詩で返答します。優雅ですねえ。やりとりするうちに何で喧嘩になったのか忘れてしまうでしょう。  英語では罵詈雑言がどれ位あるでしょうか、私が記憶しているものも相当あります。かつてのニューヨークの地下鉄の落書きのほとんどがそんな類の言葉です。カナダの首相がファッキング・バスタード!(これは公表されているのであえて書きますが)と暴言をはいて物議をかもしたこともありました。 ハリウッド映画の中でも言い寄ってきた男に主役のきれいな女優さんが聞くに堪えない汚いスラングを使ってい