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椎の実を拾ったー待ってたよ、秋!

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  今年は猛暑続き、太平洋高気圧が居座ってなかなか秋の気配が感ぜられませんでしたが、彼岸を過ぎる頃ようやく平年並みの気温になりました。その中で台風12号が接近、本州をかすめ去りました。 あ~秋だなぁ !            我が家の前に椎の古木があります。毎年秋の台風の一過でたくさんの実が落ちてきます。子供の頃、これを拾い集めるのが常でした。籠一杯の椎の実を持って帰ると、母がフライパンで炒ってくれます。 椎の実は硬いが終戦後何もなかった当時は干しいもと共にささやかなおやつでした。  学校ではこの頃になると校庭のどんぐりをポケット一杯拾い集めました。授業中、先生が黒板に向かうとその隙に皆で投げ合いをはじめます。下敷きを盾のかわりとして防ぎます。「こら!」先生に何回怒られたでしょうか? どんぐりは教室に持ち込み禁止となりました。   誰かが「どんぐりを食べると、どもりになる」というので、さすがに食べることはしませんでした。  台風の影響で風の強かったある朝、ポストに新聞を取りにゆくと、道路に見慣れた椎の実が落ちています。ふと、少年時代の思い出が頭を過ぎりました。  今はもう誰も椎の実なんか気にも留めません。あちこちに転がっています。見上げると椎の古木はいつもの通りわれ関せずと茂っています。 毎年秋になったら実を落とすよと言っているのでしょうか。  私は昔のように実を拾って家に戻りました。食べるためではありません、インテリアとして家の中に秋を飾りたかったからです。  今年の冬は厳寒の予想、秋は短いようです。それまでは椎の実は置いておきましょう。

良い出来事は神のおかげ、悪い事はすべてお前らのせいだー実際に見たアラブの格言

  私たち日本人は良い事が起これば、それをしてくれた人に感謝をし悪い事が起これば何か祟りでもあるのか、と気にします。イスラムを信仰する人々は良い事が起これば、人より先にまずアッラーに感謝を捧げますが、それは彼の深い信仰心を表わしているといってもよいでしょう。すなわち、神がその人をして良い行いをなさしめた、ということです。これはキリスト教でも同じようです。  そのため、アラブ人は 良い事 があっても喜びをあまり顔に出さないので日本人は自分の好意が伝わっていないのではないかと誤解してしまうことがしばしばあります。アラブ人には喜びを表面にだすことが誉められるべき事でなく、むしろ喜びを押さえる人ほど尊敬されるという感受性があるからです。私たち日本人もまた、喜怒哀楽を押さえる民族ですが、人の親切については、過度なほどお礼を言わずにはいられません。  また、私たちは 悪い事 が起った場合や失敗をした時には、あまり自己弁護はせずにウヤムヤの内に葬ってしまうか、くよくよ悩むのが常です。これに対しアラブ人は失敗、汚名にたいして攻撃的な特性があり一切の責めを個人に押し付けようとする傾向にあるようです。アラブの格言に曰く、   「良い事が起ったらそれはアッラーのおかげ、悪い事が起ったらそれはすべてお前らのせいだ」  アラビアの生活の中で、私はしばしばこのような出来事に出くわしました。私の好意が全然相手に通じないので、怒ったり悩やんだりした事もあります。これは、日本人の感受性がアラブの考え方と逆ですからそうなるので、彼らはけして人の親切を無視したり忘れたりしていません。思いがけないときに親切が帰ってくるので、その時までいやな野郎だなと敬遠していた自分が情けなくなりました。 こうした出来事は、中東に赴任した日本人ビジネスマンの多くが経験したのではないかと推測されます。  また、彼らの失敗の言い訳についても謙虚とは言い難い態度がこの格言に如実に表れています。  ある時、アラブ人のスタッフが仕事でミスをしたため、呼びつけて注意しました。 すると彼は 「貴方の指示が悪かったからこうなった」 と臆面もなく言い訳し、反省の色もありません。  こんな場合に多くの日本人はカチンと来て、怒鳴りつけるのは当たり前かと思います。私もそうでした。 しかし、彼はなんで怒鳴られなければならないのかといった表情で肩をす