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6月, 2010の投稿を表示しています

久々に梅酒を作ってみました。

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  世田谷の姉から庭の梅の実が沢山とれたので要りますか?と電話がかかってきました。我が家で果実酒を作らなくなってから20数年たちますが、懐かしい思いもあり久々に梅酒を仕込んでみようと貰いに行きました。玄関に並べられたビニール袋、10個も在ります。これが一本の梅の木から採れたのだそうです。一袋3kgとしても30キロ、へええ、東京にもまだ、自然があったんだ・・・。  毎年、この時期になると、熟した実が道路にも落ちて車に轢かれ汚らしい上、近所の人からは「もったいない」との声、そこで、今年は収穫してみたのだそうです。そこで、我が家の分のみならず、知り合いにもと大量に貰ってしまいました。  すっかり忘れてしまった梅酒の作り方、インターネットは便利ですねえ、情報が山ほどあります。 やり方はさまざまで目移りしてしまいます。  まあ、私の脳みその奥から古い情報を引っ張り出して、新しい情報とミックスして作ることとしましょう。 これは貰った梅の実の一部です。まだまだありますよ  氷砂糖と35度の焼酎(今はホワイトリカーっんですかねえ)をそろえて、さて、容器の広口のビン。あれっ、無い!どこに仕舞ったやら。家中引っ掻き回してようやく見つけました。それにしても大量の梅の実、これでは足りません。スーパーにビンを買いにゆきました。  沢山あるからもっと入れましょう。もう梅酒というより梅の焼酎漬けですかねえ。  梅の実は2時間ほど水でアク抜きしてよく洗い、へたを楊枝でとってから一つずつきれいに拭き取ります。根気の要る仕事、昔もよくやったんだな・・・我ながら感心しますよ。家中に梅の香りが漂います。  ビンにはなるべく青い実を選んでその上に氷砂糖500グラム(辛口党の我が家では標準の半分)を入れ、焼酎を注いで終了。 テープ張りをしてから 日付ラベルを貼ります。 以前は一年後に出来上がった梅酒などをウイスキーのビンに移し、デザインやネーミングを考えラベルを貼ったものですが、今回はどうかなぁ、多分やらないでしょう。いまからマニフェストに乗っけるのはやめておきましょう。 (2007年4月の当ブログー楽しきかな果実酒のラベル作りーをご参照下さい)  まだまだ、梅の実は余っています。情報サイトをさぐってみると、色々な梅の使い方が乗っています。梅干、、ピクルス、ジャム ハチミツ漬け。 これらの幾つかをトライしてみ

神の言葉と砂嵐には逆らえないー実際に見たアラブの格言

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  私が仕事で暮らしていたサウディアラビアでは砂嵐が激しい季節はは5月から7月ごろです。日本でも中国の奥地から飛来する黄砂は年々激しくなるようです。 今年も春分の日には各地で視界の悪さや、洗濯物や車のボンネットに積もった黄砂で苦情を言う人の映像がテレビで流されていました。私が経験した砂嵐に較べれば、これくらいはたいしたこと無いと思ってしまいますが、実は、赴任した当時はちょっとした砂嵐でも悩まされたものでした。そのうちに途轍もない砂嵐にあって少々のことは諦めてしまいましたが。  さすがのアラブ人も砂嵐には勝てないようです。彼らが頭にかぶるトウブと呼ばれる赤白段だら模様の布とゴトラという黒いワッパ、またゆったりとしたディスダーシャという民族衣装はそれに耐えうるように考えられているのでしょうね。   アラブの格言で     「神の言葉と砂嵐には逆らえない」      と言います。   日本の「泣く子と地頭には勝てない」と同じです。でもアラブのほうが人間がコントロールできない大自然の現象だからスケールが大きいですよ。アイスランドの火山噴火の粉塵、こちらも凄いですねえ。空港閉鎖のみならず、世界経済にも影響を及ぼしています。また大規模な噴火が起これば何ヶ月、いや何年続くか判らないとのこと、この格言は世界的なものとなりました。  実際、私も砂漠の中で猛烈な突風とともにやってきた砂嵐で、2時間以上も車の中に閉じ込められた経験があります。 周囲がまっ茶色の世界、光が遮られだんだんと薄暗くなりそのうちに車の中まで細かい砂が入ってきます。心細いのなんのって砂嵐が去って外の太陽を見た時、それに向かって思わずかしわ手を打ちました。やはり、日本人ですねえ。  私の家族がここに住むようになって半月も経たないうちに、砂嵐の洗礼を受けました。  夜中に、くしゃみをして眼が覚めました。妻の「いやだ、なんかざらざらしている」という声で、ライトを点けると室内は普段の蛍光灯の白色ではなく目の前がモア~とした薄いピンク色の世界になっていました。ベッドの毛布にもうっすらと砂塵が積もっています。寝ている子供たちの顔も砂だらけでした。すぐ拭いてやりましたけれども・・・。  さあ、朝がたいへんです。部屋全体にも砂塵が積もっています。妻が掃除を終えるまで3日間もかかってしまったと記憶しています。(その後何度も来る砂嵐に