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孫の手は介助ロボットの元祖かな? 日記 生活 エッセイ

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背中が痒い。 残念!手が届かない、もう年かなあ。若いころは背中のどこでも掻けたのに・・・。そうだ、孫の手があったはずだ。押入れの中だっけ、先祖伝来とまではいかぬがオヤジが使っていたものがあるはずだ。ない・・・! 背中が早くしろと急き立てています。参ったな、私にはまだ孫がいないから掻いてもらうわけには行きません。椅子の背もたれに痒いところを押し付けて動かします。駄目だ! カイイ~!見かねた妻が言います。  「私のお母さんから貰った孫の手がありますよ」   助かった!痒いところに「手」が届いた。妻の一言と先人の偉大なる発明品で、いらいらしていた私の背中のヤツも満足げです。       これを介助ロボットに頼んだら、どうなるのでしょうか? おれ   「背中が痒い、掻いてくれないか」 介ロボ  「アナタハマダ介助の認定ヲ受ケテイマセン。住所、氏名、介助の理由ナド必要事項ヲ、入力シテ下サイ」 おれ   「背中に手が届かないから頼んでいるんだ」・・・ピポパパ・・・ピポポ・・・ 介ロボ  「登録ヲ終了シマシタ。最後ニ本人確認ノタメ、運転免許証、パスポートなどゴ提示クダサイ」 おれ   「嫌なやつだな・・・わかったよ。 もうこれでいいだろ」 介ロボ  「ソレデハ、シャツヲ、オ脱ギクダサイ。ソシテ背中ノ  A  カラ  K  ニ分類サレタ「エリア」ノ痒イ位置ヲ、       オ示シクダサイ」 おれ   「早くしてくれえ~」 介ロボ  「アナタノ痒イ位置ヲ  C  ト確認シマシタ。ソノ3cm四方ノ範囲ノ正確ナポイントヲ、オ示シクダサイ」 おれ   「ここだったら、ここだ! いちいちウルサイ!」  介ロボ  「脈拍、血圧ガ共ニ上昇シテイマス。深呼吸ヲシテ水ヲ一杯オ飲ミニナッテカラ、10分程横ニナッテ下サイ」 おれ   「怒るよ! どうだっていいだろ! 痒いんだよ!早くしろ!」    介ロボ  「長イ会話ガ原因デ、バッテリーガ切レカカッテイマス。充電ノタメ一時間オ待チ下サイ」  おれ   「もーいい! 孫の手で掻くよ! タクモ~!!!」           介ロボ  「タダイマ戻リマシタ。アララ!オ昼寝デスカ? 毛布ヲお掛ケシマショウ。       節電ノタメ室内温度ヲ21度ニ設定シマス。ナオ、貴方ノ健康ノ為、一時間後ニ起シニマイリマス。       ソレカラ背中を掻ク作業ヲ開始イタシマス

歴代の南極観測船はどうなっている?

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  2009年12月15日新造の南極観測船New「しらせ」が南極定着氷に着岸し、昭和基地への物資の輸送がはじまりました。 今まで活躍してきた初代の{しらせ}はどうなったのでしょうか。解体されスクラップにされてしまうのかと危ぶまれていましたが、ようやくその行き先が決まりました。 購入者は気象情報会社のウェザーニュース(東京)です。千葉港に係留され南極観測や地球環境への理解を深める施設として公開されるそうです。  歴代の南極観測船群は退役したあとも、それぞれ南極の知識を広めるために日本の各地に係留保存されています。それが、「しらせ」だけが無くなってしまうなんて心配していました。   ここで、歴代の南極観測船を調べて見ました。 宗谷(4,100トン)  1938に就役した宗谷は帝國海軍の特務艦でした。戦後は邦人の引揚げ、海上保安庁の灯台補給船として従事していましたが1956年の地球観測年に改修され、わが国最初の南極観測砕氷船としてその翌年にオングル島プリンスハロルド海岸に接岸しました。 ここに第1次南極地域観測隊は昭和基地を開設しました。その後も宗谷は6回の南極の輸送に従事しました。現在はお台場の船の科学館に係留展示されています。 ふじ(5,250トン)  宗谷の後継として1965年に「ふじ」が就役しました。当初から南極観測砕氷船として建造されたこの船は第7次から第24次隊の物資の輸送に18年間従事しました。退役後「ふじ」は名古屋ガーデン埠頭に係留され一般公開されています。 しらせ(11,600トン)  3代目観測船の初代しらせは1983年に就役、2008年まで第25次隊から第49次隊の25回の輸送航海をしました。 装備の整ったこの船によって、わが国の南極観測は飛躍的な成果を得られた事は皆様の知るところです。「しらせ」はわが国の南極探検の先駆者白瀬 矗(しらせ のぶ)中尉の名前をとったのかと思いましたが、実は地名なのだそうです。海上自衛隊の艦船名は伝統的に地名iをとり、人名は付けないのがルールとのことでした。 しかし、どうしても白瀬中尉を連想させますね。 Newしらせ(12,500トン)    初代しらせの退役後、2008年の第50次隊の南極観測隊はオーストラリアの砕氷船「オーロラ オーストラリウス」を傭船して行われました。新造Newしらせは、冒頭に述べた通り2009年1

言葉は雲、行動は雨―実際に見たアラブの格言

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  サウディアラビアのジッダで大洪水が起りました。丁度イスラム教徒には大切な行事のハッジ(巡礼)の月なので、世界中からメッカに信徒が集まっていました。 ジッダはその玄関口に当たります。 乾燥した砂漠の国に洪水だとマスコミは一斉に報じています。たしかに1日に100ミリを越す集中豪雨は異常ですが、サウディアラビアではこの時期は雨のシーズンで各地に洪水が起るのは珍しくありません。 20ミリの雨でも砂漠の中のワジ(涸河)では濁流となってしまいます。しかし、一年の大半がからからに乾いたこの地ではむしろ雨は Good Weather!で砂漠に生を与えるアッラーの恵みなのです。 言葉は雲、行動は雨    アラブにはこうした格言があります。空に雲があるだけではなんの足しにもなりません。雨が降ってこそ、その恩恵に与かれるのです。 口先ばかりで何もしない人を諌めたものでしょう。    私が永年くらしていたサウディアラビアの東部地方のアル・カフジでは11月ごろから雷が鳴り、雨がポツリと降ってきます。乾燥した大地が湿ってくると砂漠は生き生きとして、2月になると見渡す限り可憐な草花に覆われます。4月末には暑い夏がやってくるのです。   春の砂漠はまるで花柄のじゅうたんを敷き詰めたようだ  夏に入ると雨に潤った砂漠のワジ(涸河)は徐々に水が引いてゆき、涸れてしまいます。だから、11月からの雨のシーズンに入って不用意にここでテントを張っている遊牧民が鉄砲水で溺れてしまう、こんなニュースが地元紙でしばしば報じられていました。  静かな河を渡るな、ざわめきのある河を渡れ  この格言は河底の石で飛沫を上げている河は浅いので渡るには安全です。静かによどんでいる河は深みにはまる危険があります。  注:またこの格言には、黙っていてはわからない、口角泡を飛ばし大いに議論すれば納得できるという意味も含まれています。    5月のワジ、まだ水は引いていない。7月にはからからに渇いて一面カーキ色の砂漠と化す  確かに地球温暖化は進んでいるでしょう。今回のジッダの洪水の原因とされているのは、西から東に吹く亜熱帯ジェット気流が北アフリカから紅海にかけ大きく蛇行し北方の寒気を南下させたからです。紅海の暖かく湿った南風は陸地に入って上空の寒気とぶつかって上昇気流を発生させ積乱雲が次々に発達、記録的な大雨になったようです。