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親切心はしばしば人の怒りを買うー実際に見たアラブの格言

  イスラム社会で暮らしていると、なんとまあ、多くの鍵が必要だと気がつくでしょう。自室、車、オフィス、机、ロッカー、クラブハウス… 数えただけでも7つ8つ持っている人はざらです。上着を着ている時はともかくも、暑い夏の真っ盛りではズボンに入れたキイ・ホルダーが汗でビシャビシャになってしまいます。それに財布とIDカード、どうしてもポシェットが必要になってきます。  アラブ人も彼らのディスダーシャとよばれる白い民族衣装のポケットをキイ・ホルダーや財布でふくらませています。中には鍵の束をたえず、手にもっていて、ジャラジャラいわせている男もいます。  一体何を閉めているんだと、質問したところ、 「鍵穴がついているところはすべてだよ」との返事でした。そこで、 「用心深いお人だね、ここではそんなに泥棒が多いのかい」と、いささか皮肉を込めていいますと、彼は 「いや、そうではない。アラブでは 他人に信用されたかったら、扉をしめておけ と言う。もし私が扉を開けたままだったら誰かが悪心をおこして泥棒するかもしれない。そうなれば、そいつも私もいやな目にあうだろう。ちゃんと鍵をかければ、 自分に泥棒させないようにしてくれていると感謝されるのだ 。鍵をかけることで人の信用が得られるものだ」 「鍵をかけても泥棒はいるものだ、日本には 人はみな泥棒と思え という格言がある」 「鍵をこじ開けて泥棒に入る奴は、神が成さしめた事であり私に係わりのない事だ」  どうも、理屈がかみ合いません。日本であちこち鍵をかけまくっておくと、人に信用してもらえるどころか、ドロボー扱いにしやがって!と仲たがいの原因ともなってしまいます。私が会議などで外に出るときはスタッフが書類を届けにきたりしますから、大概の場合 親切心 でオフィスのドアの鍵は開けたままにしておきます。ところが、これが意外と彼らに不評なのです。そして外出の時は鍵をかけてくれと懇願されるのです。  あるいやな思い出がありました。急に呼び出されて、計算中の書類をデスクに置いたまま30分ほど留守にしたことがありました。帰ってくると計算機がなくなっているのがわかりました。腹をたてた私は秘書のインド人に誰がこの部屋に入ったか聞きました。秘書は知らないと言いました。まあ、安物の電卓なので、そのまま追求はしませんでした。  ある日スタッフの2人があなたに忠告したい、と

ふくろうは幸せを呼ぶ鳥、知恵の鳥

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  フクロウは語呂あわせで、不苦労、福籠、福路、福老とお目出度い意味が込められています。何となく親近感のある鳥、我が家ではふくろうのコレクションをしています。旅に出た先々でふくろうグッズが店先に置かれていると、つい財布の紐がゆるんでしまうのが常です。 いまでは、我が家の至るところにそれらの置物が並んでいるわけですが、一体いくつあるのでしょうか。一つ一つ手にとってみました。 旅行中に集めたふくろう(みみずく)グッズの一部        やはり、ノスタルジックな思い出が頭を過ぎります。 これは、ギリシャ、ドイツ、フランスなどのヨーロッパの旅、 あっ、これは中国だ! 国内の温泉地。 安いものから、高いものまで、何度となく財布の中からそれぞれの国の紙幣が消えてゆきました。 金のブローチ:この鳥の住みかは宝石箱の中、めったに外に出ることはない  世界中でふくろうは幸せを呼ぶ鳥、守り神とされています。日本では夜行性のふくろうは冥界の使者や忍者のメッセンジャーとして闇に包まれ、ともすれば、暗いイメージが付きまといます。  アイヌのシマフクロウは守り神(コタンクルカムイ)として崇められています。 アメリカの先住民族、南米のインディオもまたフクロウを神や精霊との仲立ちをする使いとしています。私がハワイアン・バンドで歌う「ナ・カ・プエオ」もこの鳥を舟に例えて唄ったハワイの民謡です。   「ミネルバのふくろうは黄昏に飛び立つ」18世紀末のドイツの哲学者ヘーゲルの言葉によって有名になり、現代ではふくろうは「知」の象徴の代名詞とされています。 左:ギリシャコイン。今は同国のユーロ硬貨に同じデザインが施されている   右:古代ギリシャの銀貨(絵葉書より)  紀元前のギリシャではこの地に多く生息するふくろう(グラクウス)は 女神アテネの従者です。時代が経つともともと農業の神であったアテネは知恵の象徴に変わっていきました。古代ローマでは、女神アテネは学問の女神ミネルバに代わり、従者のふくろうも知恵の使いと見なされて来ました。  今、さまざまな表情のふくろうたちを見ていると、忘れていた昔のことを思い出します。やはり、ふくろう様は認知症防止の知恵の使いですかねえ。     ピカソのふくろうの絵皿(絵葉書より)  信じられないかもしれませんが、私がまだ、終戦のにおいも消えない子供の頃、住んでいた東京の古

今日の朝また、スズ子とチュン太がやってきた

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 朝食をとっていると、申し合わせたようにすずめが二羽、ベランダにやってきます。盛んに花鉢の中をつついています。 おかしいな、中には何もないはずなのに。枯れた葉もムシも丹念に取り去っているからです。それでも毎日やってきます。いつの日か、この二羽のすずめに名前をつけました。 スズ子とチュン太。どちらが雄か雌かわかりません。  朝食のパンくずを与えるようになりました。 私たち夫婦の朝友となったようです。  コーヒーのかおりを愛でながら、すずめのさえずりを聞くのが毎日の楽しみとなってきました。  スズ子とチュン太はいつも決まった時間に連れ添ってやってきます。     そのうちに、うわさを聞きつけたのかどうかわかりませんが、仲間のピー子やスパ朗たちが三々五々やってくるようになりました。どのすずめがスズ子とチュン太なのか、さっぱり判らなくなってしまいました。  最近、野生の動物には餌を与えてはならない、との新聞記事を読みました。自然の生態系を破壊してしまうのが理由です。  可哀相だ、飢えて死んでしまう! そう考える人たちがハトなどの野鳥ににエサを与えたりするようです。ノラ犬、ノラ猫にも餌を与え、近所のひんしゅくを買っている、というニュースもたびたびあります。   私は 自然のままという 論には賛成です。この記事を見てからスズ子たちにもパンくずを与えるのをやめました。 それでも彼らは毎日やってきます。 バラの鉢の中で砂あびを楽しんでいます。       日経のらいふプラス(2009. 5.11.夕刊)にスズメ、どこ行った?という記事がありました。すずめの個体数が激減してしまったというのです。 現在、日本にいるすずめの総数は千八百万羽と推定されています。しかし、環境省、農水省のデータではこの数字は1990年の二分の一、1960年ごろの十分の一に減っているそうです。   これは農村の害虫駆除で餌が減ったことに加え、都市部の環境が大きくかわって機密性の高い住居が増え、昔のような家屋の軒下や瓦屋根の隙間や穴に巣を作ることが出来なくなった。また、舗装が増えてエサ場が減ったことが原因と指摘しています。  スズ子とチュン太のマイホームはどこにあるのでしょうか? あまり快適な場所ではないようですね。私の大嫌いなカラスは公園の木の上に巣を作り、ごみ場をあさって増えるのに・・・。 不公平ですね。