おおとり神社ー目黒散策 (その4)
五百羅漢寺ー目黒不動ー昆陽のお墓を巡ったあと、道を戻って7分、大鳥(おおとり)神社に着きました。昔から「目黒のおとりさま」で人々に親しまれてきた神社です。浅草の鷲(おおとり)神社とならんで有名です。毎年11月の 酉の市 に人でごったがえすここも、平日の午後は閑散としています。 おおとり神社は1200年の歴史を持つ目黒最古の神社です。806年、和泉(大阪)の大鳥(おおとり)の神を勧請したといわれています。 おおとり神社には日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)が祀られています。 酉の市 は日本書紀に記されているヤマトタケルノミコトが「十月巳酉」に出発した日を起源としています。また、彼の東征の折、酉の日に焼津で火責めに遭い、草薙剣(くさなぎのつるぎ)で草を薙ぎ、当時の武具の一つであった 熊手 で草をかき集めた故事が酉の市の起源になったーともいわれています。 おお きく(福を) とり こむーと酉の市には縁起物として熊手が売られるようになったとのことです。 今では、この神社は商売繁盛の神様として賑わっています。 草薙剣はもともと天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれていました。神話では須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲の国で八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)を酒で酔っ払わして退治しました。尾を切り裂いたところ、一振りの剣が出てきたのでこれを天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上し、天叢雲剣と名付けられた・・・と伝えられています。 その後、ヤマトタケルノミコトが東征の際に伊勢神宮に参拝し、この「天叢雲剣」を授けられたともいいます。焼津の火責めにあった際、 草を薙ぎ 窮地を脱したことから「草薙剣」の名を追銘されたといわれています。 境内にはオオアカガシの巨木があります。東京都の天然記念物に指定されています。樹齢はわかりませんが、相当な年月を経てきたことが窺われます。 夏には蝉の声がうるさいでしょうね。 その脇には織部灯篭―いわゆるキリシタン灯篭がありました。この灯篭の特徴は竿部(脚)にはかならず人の形をした像が刻まれており、マリア、あるいはイエスの姿をあらわしたものだといわれています。これはお地蔵さんだ、という説もありますが、この灯篭は茶人の千利休の弟子である古田織部がザビエルの来日後の日本のキリシタン全盛のころの天正年間に考案したのですから、私は織部がキリス