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なつめ椰子が大きくなったー我が家の園芸

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  モロッコの市場でおみやげに買ってきたデーツ(なつめ椰子)をためしに蒔いたのは 2006年5月の事でした。部屋の観葉植物ベンジャミンの鉢に食べたあとの種子を、冗談のつもりで、いく粒も突き刺しておいたところ芽が出てきました。驚いた事にほぼ100%の発芽率です。鉢の家主のベンジャミンさんが迷惑そうなので、我がもの顔の居候たちを立ち退かせました。そのうちの何本かは根を傷めないよう掘り起こし、植木鉢に移植して育ててきました。  左は干したなつめ椰子の実です。 右の発芽したなつめ椰子は夏になるまで日当たりの良い部屋に入れておきました。もともと乾燥地帯の植物ですから水やりは10日に一度位にしました。  2年目の2008年の春、成長した椰子を大きな鉢に植え替えました。   葉も特徴のあるぎざぎざが出てきて身体に触ると痛いので、横に伸びた葉は切り取ってしまいました。夏の暑い盛りは、太陽の光を浴びて新しい葉がぐんぐん伸びてくるので毎日たっぷりと水をやりました。    現在は3鉢が大きくなっています。  なつめ椰子の故郷の砂漠地帯はほとんど雨が降りません。しかし、水の豊富なオアシスでは樹は群生し10メートル位の高さにもなります。   アラビアの格言には 「千本のなつめ椰子の樹は一つの泉を枯らす」  とありますからこの樹はかなり貪欲に水を吸収するようです。我が家のなつめ椰子にも真夏の暑い間はホースでじゃんじゃん水を撒いてやりました。  2年経っても思ったより樹が高くならないのは、日本の気候のせいでしょうか。あるいは椰子の根は水を求めて広く伸びていきますから、植木鉢のスペースでは限度があるのだとも思います。  今年はこんな大きな鉢を部屋に入れるわけにはいきません。ビニールハウスに入れましょう。         サウディアラビア中部、この地方一帯は地下水の豊富な地域です。あちらこちらのオアシスにはなつめ椰子の林があり、その緑は砂漠の単調なカーキ色になれた眼を和ませてくれます。そうした所の一つの町、アル・ハサはなつめ椰子の実、デーツの産地です。郊外には見渡す限りのなつめ椰子の樹の林が続いています。  私が仕事で永年にわたって暮らした所は中東の国サウディアラビアです。ここではデーツはごく一般的な食べ物です。アラブの友人の家やオフィスを訪問するとアラビック・コーヒーが振るまわれますが、多くの場合

またレトロな建物が消えてゆくー京品ホテル

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  JR品川駅前、明治―大正―昭和―平成と時代の世相を見守ってきた京品ホテルが営業を終えました。 突然のこととて、従業員たちは抗議の声を上げています。1871年(明治4年)に旅館として開業。その後、1930年(昭和5年)に現在のホテルの建物が建築されました。戦災にも耐え、現在に至るまでレトロな建物にファンも多く人気をあつめていました。この10月20日 経営者の京品実業(株)は経営難を理由に廃業し従業員の解雇とホテル売却を宣言しました。  会社の事業は多額の負債を抱え、先ほど破綻した米大手金融会社のリーマン・ブラザースの日本法人子会社のサンライズ・ファイナンスが債権者となっています。 この会社もまた、この9月に民事再生法の適用を申請したため債権処理を急がなくてはならない事情を抱えております。  しかし、ホテル単独の営業は黒字というのですから、些か惜しい気がします。建物の耐震化が出来ない事、高輪の都市計画に組み入れられたことから、売却されたあとは取り壊されてしまうでしょうが、どこかに昭和初期の建築物記念館として移築できないでしょうか。  私は品川で生まれ、この京品ホテルの建物を見ながら年を重ねてきました。今はウィング高輪、品川プリンスホテルの近代的ビルに囲まれ、このレトロな建物はさびしい雰囲気ですが、昭和20年~30年代は、品川駅、京浜急行電鉄と京浜百貨店、三菱銀行や郵便局、1番、3番、7番の都電の停留所などと一緒に駅前に威容を誇っていました。  品川駅前は戦前の出征兵士、戦後の復員の軍人たちのターミナルでしたから、いつも人の波でごった返していた記憶があります。父もここに復員し、母と共に迎えに行きました。  戦後しばらくは京浜百貨店(今のウィング高輪East)の地下はアメリカ進駐軍のダンスホールになっており、品川駅の田町寄りの国電沿いには闇市がありモンペ姿の主婦や古びた戦闘帽をかぶった男たちで賑わっていました。  長いあいだホテルの下で営業を続けていた中華料理店の[桃苑」で、戦後まもない子供の頃父と五目そばを食べたことがありました。 食料難の折、世の中にこんな美味いものがあったのか、とびっくりしたことがありました。  すっかり、自分勝手なノスタルジックな気持ちばかりを述べてしまいました。 まあ、「年寄りの昔自慢」と思って勘弁して下さい。  時代の流れには逆らえませんが、