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どう見ても庖丁研ぎオタクかな~あ

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 今の庖丁は良く切れますね。 しかし、使っているうちに切れ味が鈍り砥石が必要となってきます。 昔は砥ぎ屋さんが御用聞きに来ましたよ。 家の門のところで何丁もの庖丁、そうそう、鎌なんかも砥いでくれました。私は飽きずに最後まで見とれていました。 母から預かった代金を手渡さねばならなかったのです。    最近、TVの料理番組で、ある女優さんが 「切れなくなった庖丁は捨ててしまいます」 と言っていたのを聞いて唖然としました。   燃えないゴミでポイ捨てですか。 表にはこの頃ヤバイ奴がうろうろしています。犯罪に使われたら大変ですよ。また、柄が壊れてしまったとこれも捨てる人もいますが、築地や刃物屋さんで新しい柄を買ってください。柄の取替えの利かないナイフなどはペンチで先を曲げて使えなくして処分しましょう。  私が庖丁を砥ぐことを始めたのは、単身赴任でやむなく料理をせねばならなくなったからです。   庖丁が切れなければかえって、指を怪我することもあります。荒砥ぎ、中砥ぎ、仕上げ砥石を買い込んで、昔、砥ぎ屋さんがやっていたことを思い出しながら あらゆる庖丁を砥ぎました。 出刃、やなぎ刃、さしみ刃など片刃の庖丁は 表10、裏3 の割合で砥ぎます。 ヘンケルのナイフなども両面を平均に砥ぐコツもおぼえました。   砥石が磨り減ってきて凹になったら、 コンクリートの床でごしごし擦って平面にします。コンクリに落書きみたいな跡が残ってしまいますが、ここだけの話)知らん顔。   人の寝静まった深夜、薄ら笑いを浮かべ出刃包丁を砥石に乗せ、砥ぎ上がった業物を見やりながら、またニヤリと笑う。一人だから良いものの、人が見たらそのおぞましさをどう思うでしょうか。   これだけではありません。砥ぎ師の最終の詰めは、仕上げ砥石で刃をさらに鋭くすること、全体のサビも落とし、きれいにすることです。 そして、 親指のつめに刃を当てて 、引っかかりを確かめます。こうなると、もう砥ぎオタクそのものですね。そして満足げにおたく笑い。 ヌ・ヘヘヘヘヘ・・・!      庖丁は更に10分ほど、 ぬるま湯につけて金臭さを取ります。  出来た!  まあ、これを使って野菜を始め、魚肉類など料理の材料がきれいに仕上がるのを見るのは気持ちの良いものですねえ。料理中、焦げたり煮くたれて形がくずれても、これは庖丁のせいではありませんよ。

災難から守ってくれる蘇鉄ー我が家のジンクス

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  1991年、念願の家の建て替えをすることが出来ました。敷地に目一杯の家屋を建てるため、庭は跡形も無く潰されてしまいました。 毎年、秋の収穫をもたらしてくれた柿、甘い香りのきんもくせい、子供の頃よく登った桜などが処分されました。しかし、玄関の前に植わっていた蘇鉄、明治―大正―昭和-平成にわたって我が一族を災難から守ってくれた樹、この老樹を取り払ってしまうのは、どうしても心残りでした。そこで、私の住んでいる区が進めている緑化保存の担当部に問い合わせたところ、引き取ってもらえることになりました。現在、この蘇鉄は芝浦中央公園に移植され、訪れる人々を見守っています。 クレーンで吊り下げられた蘇鉄、 生い茂っていた葉も刈られて運ばれていきました。  それから18年の歳月を経て、今では公園で大きな緑の葉を茂らせています。  芝浦中央公園は東京都の汚水処理場の上に作られている屋上公園です。知る人ぞ知る、といった公園でいつも静かです。中にはテニスコートや愛犬を遊ばせるドッグランの場や、桜、藤、こぶし、さつき、バラなど色とりどりの花が楽しめる所です。  なぜ、この蘇鉄が人を見守っているのか、これは私の父や親戚の人々にとって不思議な因縁話があるからなのです。  この樹は私の母方の祖父の家の玄関の前に植わっていました。 明治時代、祖父が東京で居を構え、そこで事業を起こしたところです。 古い写真アルバムには若き日の祖父と祖母の姿、また昭和になって叔父たちや知人が出征する姿が残っています。また、幼い私を抱いた父の軍服姿もあったのを記憶しています。  不思議なことにその写真のうしろにはかならず、この大きな蘇鉄が写っているのです。  叔父の部隊に硫黄島派遣の命令が下りました。集結地に待機中、乗船すべき輸送船が撃沈され代わりの船もないままそこで終戦となりました。 父の場合もシンガポールから台湾に向う際、移動が取りやめとなったのですが、乗るはずであったその飛行機が台湾沖で撃墜されたので九死に一生を得た、とよく話していました。   思うに祖父も日露戦争で203高地の攻防戦で負傷しましたが無事帰還しています。これもこの蘇鉄が見守っていてくれたのかも知れません。  関東大震災、東京大空襲にも焼け残ったその家は昭和30年、取り壊されることとなり祖母、叔父の一家は転居しました。しかし、蘇鉄はまだ縁がありまし