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七人の侍のロケ地だった鮎壺の滝(静岡県沼津市)を訪ねて

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   「七人の侍」言わずと知れた黒沢 明監督の名作である。この映画の一場面にこの鮎壺の滝が収められている。この滝は静岡県JR沼津駅から御殿場線に乗り換え二駅目の下土狩(しもとがり)駅から徒歩5分の所にある。今回、バス旅行でこの滝を訪れる機会を得た。 まずは鮎壺公園に入る。  鮎壺の滝は静岡県沼津市と駿東郡長泉町の境に位置する黄瀬川の滝である。落差は約10m、幅約90mで、三条の本流と数条の支流で構成されている。公園の中を歩いてゆくと奥手の方から勇壮な滝の音が聞こえてくる。  およそ一万年前の富士山の噴火による溶岩の間で形成された。平成8年には県の天然記念物の指定を受けている。  ここからはるかに富士山が眺望できる絶景の場所と言える。 今日の富士山の頂上に雲がかかっていて残念なが勇壮な富士とはいえなかった。(右手)水量が少ない時は滝の裏側から水のカーテンを通して川の岩場が眺められる。   この滝の上に黒沢 明監督のあの名作「七人の侍」の一シーンがある。六人の侍ががそろって下を眺めている。その滝の下には三船敏郎扮する侍が鮎を捕まえている。約6秒間水に潜って鮎を捕らえ串焼きする場面、この映画を何回もみたが、まさかこの滝とは知らなかった。    下土狩駅前の長泉観光交流協会(伊豆半島ジオパーク長泉ビジターセンター)で説明を受けた。そこで今、目にした滝と映画七人の侍のシーンの滝を見比べることができた。 (右手の写真はその模型) 鮎壺の滝はほかのも映画のロケ地にもなったそうだ。  暇人のつぶやき:  ただ、この滝はマンションが立ち並ぶ住宅地の中だから自然美だけを見ようとすると難しい。なるべく滝の方向だけに目を注いだ方が良いかもしれない。虫に注意、やられた!  

温泉の湯はさておき もう一つの伊豆修善寺を歩く

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   伊豆の修善寺といえば温泉、だが、お寺には訪れたととがない。そこで今回はお湯以外の観光スポットを散策してみた。この古刹以外にも歴史上の鎌倉幕府の遺物があることが分かった。昼下がり、修善寺に着いた。日帰りなので温泉でぬくぬくと過ごすわけにはいかない。 周りのスポットを観て歩くこととした。 駐車場から歩くこと10分 「修禅寺」 の境内についた  修禅寺の門前通り、やはり人出が多い。昔懐かしい射的やお面やかざぐるま等のおもちゃ、それに焼き鳥の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。  この古刹は曽洞宗の寺院で温泉街の中心に位置している。   元々は807年に空海が創建したものと伝えられ、鎌倉時代中期に空海の真言宗から禅宗の曽洞宗にかわったので、いままでの修善寺を改め修禅寺に変わったという。それ以後は地名は「修善寺」で、お寺は「修禅寺」となっているが、いずれも「しゅぜんじ}である。   参拝したあと境内をまわる。  羅漢さまか、ずらりならんだ石仏の和んだ表情が一体一体違うのがなんとなく微笑ましい。  しばらくは境内の静けさを感じ、禅の境地を垣間見ようと目を閉じてみた。   帰り際、禅僧の一団とすれ違った。いずれも柔和な表情で会釈をして通り過ぎる。こちらもおもわず頭を下げた。        ・・・・・・  お寺を出て朱塗りの橋を渡る。ここからは人出がまばら、さらに歩を進めると人っ子一人もいない山道となる。蝉の声しきり。 ここには鎌倉幕府二代目将軍、源頼家の墓がある。さらに道を進むと指月院、これは北条政子が建立したものである。  源頼朝の長男の頼家は父の没後18歳で鎌倉幕府二代将軍となった。しかし、台頭する北条氏との抗争に敗れわずか6年で将軍職を追われ、ここ修善寺に幽閉された。その後、1204年(元久元年)になって祖父の北条時政に暗殺された。  頼家の墓のそばにある指月院は、彼の母の北条政子がわが子を偲んで建立したものである。  鎌倉幕府はこのあと実朝が三代将軍を継ぐが、甥の公暁に暗殺され源氏の鎌倉幕府はとだえ、実権は北条氏に移る。   時折の樹の枯ずれの音を聞きながら、はるか昔の歴史を思い浮かべながら修善寺を後にした。。