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アラブのお香

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  アラブ社会では大勢のお客を招く時、昇進や結婚式などおめでたい席では香木を焚く習慣があります。私はサウジアラビアに赴任中たびたびこのような交遊の場の席に招かれましたが、そこでは、馥郁たる香木の香りにみちていました。こういう時に一片の香木をプレセントすると大変喜ばれました。その時のために買い集めておきました。  あるサウジ人の結婚式の場では香炉に入れた香木がもうもうと部屋に立ち込め、来賓の人々はディスダーシャとよばれる民族衣装に炊き込めていました。私も真似をしてスーツに香りを入れ込みました。社宅に戻ってからも得も言われぬ上品な香りは翌日の朝まで楽しませてくれました。 私が遊牧民(ベドウィン)のテントを訪れた時にも、シャイ(お茶)をふるまわれたあとお香が焚かれました。暑い砂漠の中から来たお客には最大のおもてなしでしょう。汗ばんだ身体が軽やかな感じになりました。  香木はトロイ・オンスという単位で売買されています。王族や大金持ちが使うようなものはビャクダンのような高価なものです。1トロイ・オンス〈註〉で数万円もするものがあります。  私は「カンボジア、ミャンマーから輸入したもので良いものだ」と勧められ、適当な値段の品物をう呑みにして買いましたが・・・。        (註)  トロイ・オンスはヤード・ポンド法の単位で金など貴金属の売買に適用される。   1トロイ・オンスは31.1034768グラム  日本でも香道は盛んなようですが、香炉に入れる香木はほんの少量のようです。休暇で日本に戻る時、香道をたしなむ親戚の方に奮発して10センチ程の香木をお土産にしました。その方は木片の良い部分を削ってお香の会の席で披露したところ大変喜ばれたそうで、以来その香木に名前を付けたとか・・・こちらも鼻高々でした。     帰任する時、残った香木を持ち帰りました。ある日、香炉に一片をいれ焚いてみましたが家族には煙たいと不評でした。以来、30数年戸棚に仕舞ったままです。香木は安いもの高いものをビンにごっちゃに入れて持ち帰りましたから値段がいくらなのか区別しようもありません。 宝の持ち腐れですねえ。

アラビアの至宝展とサウジアラビアの思い出

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   2018年1月から東京国立博物館で開催されている Road of Arabia―アラビアの道 サウジアラビアの至宝展,これは見ておかねばならん、実は私は長年にわたってサウジアラビアで勤務していました。妻と二人の子供も4年半にわたってサウジで暮らしていました。そこで終了ぎりぎりの5月8日妻と連れ立って見学しました。懐かしいサウジの思い出と共にご紹介します。  博物館に入ると古代の石像が出迎えてくれます。だが、私たちが見てきたアラビアとは雰囲気が違います。現代のサウジアラビアは聖地マッカやメディーナをかかえたイスラム教の中でも厳格な戒律を踏襲しているスンニ―のワッハーブ派ですから、このような偶像は現地では見たことはありませんでした。  現に日本から来るお客は手土産に藤娘など人形をもってくる人が多いのですが、厳格なイスラム教徒の友人は困った顔をして「もらったが私には不必要だ、これはあなたにあげる」と言われた事もあります。会場には顔がそがれていたり、頭部のない石像が展示されていましたから、イスラム以後は偶像はご法度だったのでしょう。  そんなことですから在任中は同地の古代遺跡に触れる事がありませんでした。休暇の際、イラク、シリアのメソポタミア文明、イランのダリウス王朝時代の遺跡を訪れようと旅行のプランを練りました。まず手始めにエジプト文明、壮大なピラミッドやスフィンクス、ツタンカーメンの墓、カイロ博物館は心躍るものでした。次はメソポタミア文明だー そう思っていた矢先イランーイラク戦争(1979-1989年)が勃発し、旅行プランはご破算になってしまいました。その代わりに本社に帰任の際、足を延ばしてギリシャ、クレタ文明の遺跡を堪能しました。  今回のサウジアラビアの数々の遺跡からの出土品を時間をかけ十分満喫しました。展示品の出土地の リアド、アル・コバル  また、古代貿易の拠点、 タルート島 へは何回か訪れたこともあり、大変興味深いものでした。                サウジアラビアの首都リアドの近郊には2010年に世界遺産に登録されたデルイーヤの遺跡があります。  ここは第一次サウド王国の首都でしたが1749年にトルコのオスマン帝国によって破壊されてしまいました。私たち家族で訪れた時は廃墟のイメージでしたが、その後訪れた時には整備されていました。サウジ至宝展にもパ