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「静かな湖畔」のカッコウは米国では蜘蛛の歌だった

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  私たちが小さい頃よく歌った 「静かな湖畔」 私もこの歌は子供の頃に音楽の授業や、ハイキングなどで歩いている時によく歌いました。ノリの良い旋律と歌詞、それに輪唱が出来るからです。  詩人のアーサー・ビナード氏が執筆した「歌の内蔵型自動PR装置」(日経新聞2009年11月22日付)の記事では、これはアメリカに古くから伝わる民謡で 小さな蜘蛛 という題名だそうです。   カッコウの歌、それが蜘蛛の歌だったなんて・・・。 調べてみると、元々この曲はスイス民謡だったようでアメリカに移民がはじまって、故郷の歌が持ち込まれたものと推測されます。(実を言うと、今まで私はこの歌は日本の歌で、郭公(カッコウ)の鳴き声を表現したものとばかり思っていました)  ビナード氏は歌い手や地方によって歌詞の一部が違ってくるそうですが、子供の頃に覚えた彼のバージョンを次のように記しています。  The itsy―bitsy spider climbed up the water spout   Down came the rain washed the spider out   Out came the sun and dried up all the rain,   And the itsy―bitsy spider went up the spout  again  この歌も最後の歌詞が again! と歌い手をもう一度歌を反復させる効果があり、アメリカの童謡の頂点に登りつめたのだ、と彼は言っています。   ビナード氏は来日して同じメロディーが「静かな湖畔」のタイトルで歌われ蜘蛛が鳥に化けていることでショックを受けたとの事です。 私もこの記事を読んで逆のショックを受けました。  彼は日本バージョンの「静かな湖畔」は郭公の鳴き声が輪唱をすることで森と湖にこだまする感じが出て、アメリカの「小さな蜘蛛」のパクリでなく立派な別天地である、と述べています。 しかし、; 元々のスイス民謡(At a Quiet Lakeside) の主役はカッコウとフクロウであって蜘蛛ではありません。 鳥が虫に化けたのもいかにもアメリカ大陸的で、微笑ましい感じが出ています。  まあ、元祖xxx、 本家xxx と争うのはやめにしましょう。 歌に国境はありません。  試みにこのItsy―Bitsy Spider を原語で輪唱

寺と坂と下町と・・・谷中(東京・日暮里)を歩く

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  古い下町の面影が眼に残る町、 谷中 。その地名は江戸時代以前からあり、上野台と本郷台に挟まれた谷間を意味します。 お花見をかねてこの町を散策してみました。散歩マップを見ると方々に観光スポットがあります。これを全部見るには3日間はかかりそう、そこでJR西日暮里からJR日暮里に至る「これぞ見るべき」という場所だけを順番にめぐる事にしました。  ここはお寺が多いですねぇ。各宗派のお寺がところ狭しと並んでいます。地元の人に聞くと、なんと 八十一 のお寺があるそうです。ここは江戸城の鬼門の方向にあたり、築城に際して鬼を封じるため全国からお寺の分院を集めたと言い伝えられています。 1-道灌山    JR西日暮里駅のそばの歩道橋を上がると大田道灌の出城跡の道灌山に出ます。江戸の庶民は日が暮れるのを忘れ風光明媚の絶景を楽しんだことから、「ひぐらしの里」とも呼ばれるようになり、現在の地名の日暮里に繋がったと言われています。  桃さくら鯛より酒のさかなには      みところ多き日くらしの里 十返舎一九    山も無き武蔵野の原をながめけり        車立てたる 道灌山の上  正岡子規  今は西日暮里公園となっている道灌山の解説板にはこのような短歌が書き記されてありました。昔の歌人達もこの地の風景を愛でてやまなかったと、その想いをはせてみました。  道灌山を出てすぐ右、第一日暮里小学校のわきに彫刻家の高村光太郎「正直親切」の記念碑がありました。彼はこの小学校の卒業生です。 2-諏方神社 、  元久2年(1205年)に造営されたこの神社は日暮里・谷中の総鎮守です。拝殿の下の建物には神輿とともに山車に乗せられ巡幸した源為朝の人形が展示されています。  3-富士見坂   富士見坂は東京に何ヶ所もありますが、都内で富士山が見える数少ない坂です。 写真を撮りに来る人も多いのですが、はっきりと富士山が見える日が少ないそうです。 しかも今では高層マンションが建ち、せっかくの富士の裾野が隠れてしまいます。 富士山の姿?今日は見えませんでした。 4-浄光寺    通称雪見寺とも呼ばれ眺望が良い場所だったようですが・・・昔の人がタイムスリップして今の景色を見たら、どう評価するでしょうか? 境内には江戸六地蔵や八代将軍吉宗の座った「腰掛の石」があります。       5-経王寺   慶応4年(186