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どすこい!お魚

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  大相撲は 「押し」、 釣りでは 「引き」 が勝負どころです。互いに見合って、さあ魚信があった!残った残った! プッツン!アッ、切られた!姿の見えぬまま、はたき込まれてしまうと悔しい思いです。さんざんやり取りして土俵際ならぬ海面に上がってきた大魚を見ると嬉しいですね。 ここで手を抜くと打っ棄られバレてしまいますが・・・・。釣り上げた魚が名も知れぬ外道の魚だったら、はて、こいつは食べられるのか?心配になります。  私が 中東のアラビア湾 で、息子が 日本の相模湾や鹿島灘 で釣った魚を相撲の取り組みに見立ててご紹介します。 ナニ、親父と息子の釣り自慢だけの事ですが・・・。 この取り組みは 釣りの当たりと引きの強さ  と  食材のバリエーションと味 で勝ち負けをきめます。iv> 勝負審判        こち錦親方              なまず川親方                        たい乃山親方             もんがら山親方       ふぐ風親方            行司:こばんざめ之助 本日の取り組み                 解説は、かえるうお親方 いとひきあじ(中東部屋)/かがみだい(相模湾部屋)   [いとひきあじ]  体長: 40cm アラビア湾 カフジ出身 本名はHamam [かがみだい ]  体長: 60cm 静岡県 稲取出身  双方とも鋭い立会い(当たり)!勝負はなかなかつきません。深く潜った かがみだい はなかなか姿をあらわしませんね。 土俵際(海面)でようやく (~o~)/を見せます。エッ!この変な魚はなに? まあ、食べてご覧あれ、刺身、煮付け、焼き物など万能の素材。 料理してみなけれその価値はわかリません。  片やアラビアの いとひきあじ 。一のし、二のし・・・、と釣りの引きは海面までがぶり四つに組んで鋭い寄りを見せます。食材では刺身やフライで頑張ったが、煮付け焼き物は、ウーン?不味だね。    結局、かがみだいの寄り切り勝ち! あおのめはた(中東部屋)/ どんこ(相模湾部屋) [あおのめはた]  体長:35cm アラビア湾 カフジ出身 本名はArus  [どんこ]   体長:40cm 神奈川県  三崎出身  この取り組みは仕切りがのろのろして長い。立会い(魚信)も待った!の連続。知らないうちに釣れていたー

俺の名誉は俺の髯で守る -実際に見たアラブの格言

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  たしかにアラブの男性は髯を蓄えるのが大好きです。あるアラブ人が東京の理髪店で髯をあたってもらいましたが、髯なんて剃るもんだと思っている日本の床屋さんにあれこれ注文をつけても、うまく手入れが出来ません。 満足する形にならないないので、彼はカンカンに怒ってしまいました。床屋さんには同情しますが、髯には彼の名誉がかかっていますからね。  以前私が赴任していたサウディアラビアでは髯のないヤツは男じゃないと思われているようです。彼らがメッカ(正式にはマッカ)に巡礼に行くと頭をつるつるに剃って帰ってきますが、男の名誉を守る髯はそのままです。  アラビアのオフィスでは髯のない男はいない                          中東諸国に赴任した日本人の中には面白がって髯を蓄える人もいますが、すぐ飽きてしまったり手入れが面倒なのでやめてしまうことが多く見られます。しかし、こういう人をアラブの人々は節操のないだらしないヤツだと陰でバカにしているのを知らないのでしょうか。皆がお茶を飲む席では「あいつは何か失敗したらしいぜ、髯を剃っちまったよ」と格好の笑い話にされています。   実は私も赴任早々なけなしの髯を蓄えていましたが、アラブの友人からこの話を聞いて剃るのをやめました。イラクに派遣された自衛隊の隊長が最後まで剃らなかったのは正解でした。彼はイラクの人々から自分たちを理解してくれた人であると尊敬の念をかち得たと伝えられています。               私の母が亡くなり急いで日本に帰ることになりました。 葬式に髯づらで出るのは日本でははばかられるために、剃らざるを得ませんでした。葬儀を終えアラビアに戻るジェット機の中で、つるつるの頬を撫でながらアラブ人たちにバカにされるのを覚悟しました。  事務所に入るやいなや、アラブのスタッフたちは私の両手を握り締め、悲しいだろう、辛かったろうと口々にお悔やみの言葉を言ってくれます。 普通、葬式がすんだ後はアッラーに召され天国に行ったーとあっけらかんとしている彼らがこんなことを言うのは意外でした。 実は彼らは私が悲しみのあまり、男の名誉をまもる大切な髯を亡くなった母に捧げてしまったと思ったからでした。 私がまた、髯を蓄え始めたのはいうまでもありません。  名誉を守る髯の効用はほかにもありました。   ある日、私のアラブ人スタッフの