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五百羅漢寺ー目黒散策(その1)

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  目黒といえば 落語で面白おかしく語る「目黒のさんま」が有名です。だが、ちょっと足をのばすと、そこには歴史上の色々な見所があります。今日は散策方々、そのいくつかを訪ねてみました。4回シリーズでお届けします。  JR-目黒駅から権乃助坂を下り、大鳥神社前を五反田方面に左折して5分、五百羅漢寺前に着きます。おおきな五百羅漢寺の松雲禅師の銅像の前をを右折、しばらく歩を進めると、海福寺、その隣が五百羅漢寺です。見たところ近代建築のお寺です。  入場料は大人300円、 案内のルートにそって進みます。 最初の部屋には五百羅漢の像がずらりと展示されています。 どれもが違った表情です。人間の喜怒哀楽をあらわしているのでしょうか、まるで、ラッシュアワーの駅のようです。しかし、どの像からも柔和な感じを受けます。松雲禅師が精魂かけて十数年も費やし530体余りを作り上げたという、そこには、己の信仰と人への思いやりが込められています。禅師は当時の卓越した美術家、彫刻家であったことがうかがわれます。  この羅漢像を彫刻した松雲禅師は京都の人でもとは仏師でした。23歳のときに出家しました。  魂を入れた仏の像を刻みたい、その一心から松雲禅師は江戸にくだり「百羅漢造立権化」の幡をたて,浅草寺の門前や市中を托鉢しました。 彼は方々で彫刻のための浄財をもとめました。だが、初めは誰からも見向きもされませんでした。苦難の末、次第に人々の信用が得られ江戸中から浄財があつまりました。彫刻を十数年続け、ついに536体を完成させました。魂を入れた仏の像、それぞれがさまざまな表情で心のこもった親しみの気持ちを伝えています。  元禄8年(1695年)江戸本所(現在の東京都江東区大島4丁目)に天恩山五百羅漢寺が建立され、像はそこに安置されました。徳川5代将軍綱吉や8代将軍吉宗の多大な援助もあり、当時の江戸の人々に「本所の五百羅漢」として信仰を集め親しまれてきました。  羅漢像は、すべて寄木造り、大多数が彫眼、漆箔です。一つ一つ違った表情は、中国の始皇帝の廟の兵馬俑のようです。兵の厳めしい表情ではなく、全部がお坊さんに見られる慈愛の満ちた顔で表現されています。   江戸庶民に親しまれた本所の「五百羅漢」はその後、重なる天災地変で 明治41年(1908年)現在の目黒の地に移りました。  この江戸初期の木彫り像は東京都の重