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軍艦の艦橋をモデルにした消防署があった!

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   東京の港区高輪2丁目にはユニークな消防署の建物があります。「高輪消防署二本榎出張所」です。 この3階建ての建物の望楼は、日露戦争の日本海海戦で旗艦となった「三笠」の艦橋をモデルとして昭和8年12月に落成しました。当時は周囲に高い建物がなく、東京湾が一望のもとに見渡せたといいます。 ですから、「海を行く軍艦」「岸壁上の灯台」ともいわれていたようです。今では、隣の高輪警察署や周囲の高層マンションに埋没していますが、まだ、堂々とした構えです。  ここは明治41年に二本榎派出所として開所され、昭和8年の建物の完成とともに消防署に昇格、昭和59年になって高輪消防署が白金2丁目に移転したため、現在は出張所になっています。  3階の講堂の内部は曲線や曲面をモチーフとした第一次世界大戦後のドイツ表現派のデザインです。 アールヌーボー風のガス灯とともに保存されています。近代建築の遺産として、貴重な建物です。    ところで、高輪地区情報紙(発行:高輪地区総合支所 地区政策課)に意外な記事を見つけました。コメディアンの関根 勤さんは生まれた当時、この裏手の家に住んでいたそうです。関根さんのお父さんがここの消防士だったので、家は消防署からあるいてほんの10歩のところだったのです。   彼は小さい時には消防士になることを夢みていたそうです。しかし、大学3年の秋 テレビの素人お笑い勝ち抜き番組でスカウトされ芸能界入りしました。スカウトされなければ関根さんが消防車に乗って、消火活動をしている姿が見れたかも知れません。 関根さんのふるさととも言えるこの消防署、いまでも懐かしく思っているでしょうね。  軍艦をモデルとした・・・ことの真偽をたしかめるため、 横須賀に展示されている「三笠記念艦」を訪れてみました。  消防署の概観はクリーム色ですが、三笠艦は軍艦色の灰色、だがイメージは・・・・なるほど、そうだったのですね。  この消防署を歴史的な建造物として、末永く保存したいものです。

沙漠の泉に住む魚

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   沙漠の中に湧き出る泉、それは一般にはオアシスと呼ばれている所である。 周りはナツメヤシの林、駱駝に乗って旅をするキャラバンの憩いの場所―というのがわたし達が頭に浮かべるイメージである。 1998年にわたし達が訪れたのはサウジアラビアの東部地方のカフジという町から35kmほど内陸部の沙漠に入った「アイン・アル・アブド」という名の泉だ。「黒い水」あるいは「奴隷の泉」という意味である。 名の由来は、硫黄臭がきつく塩分が濃くて飲めるものではない劣悪な水質だからだ。したがって、泉のまわりにはやしの林もなく到底オアシスとは呼べない所である。  メインロードから沙漠道に入り、道なき道を運転すること2時間、わたしたちの車は目的地に到着した。  5月の砂漠、北風が心地よく汗をぬぐってくれるものの、気温はそろそろ40℃近くになろうとしている。  泉の直径は20メートル位、間歇的に水が盛り上がってくる。   硫黄の臭いが鼻をつく。わたし達は硫化水素を警戒して、風上に移る。   泉の縁には白い塩の層ができている。相当塩分の濃い水に違いない。飲めないわけだ。  突然、水がわき出て水面が盛り上がる。動物の骨が浮き沈みしている。乾きに耐えかね、この悪い水をも飲みに来た羊がはまって溺れてしまったのかも知れない。  広漠な沙漠、その一点から湧き出た水は沙漠を削り、カーキ色の単調な風景を渓谷に変貌させている。  流れ出ている水の底は硫黄酸化物で真っ黒だ。あちらこちらに温泉でお馴染みの湯の花が揺らめいている。岸辺に下りて、口に含んでみた。塩気と苦味が舌を刺す。あわてて吐き出してしまった。なるほど、人々のいう「黒い水」なのだ。  水の流れは2キロ離れた涸河(ワジ)に合流している。雨季の過ぎたこの河はさらに5キロも行くと沙漠に吸い込まれ、今の時期は河というより細長い水たまりである。    彼方には何頭もの駱駝が水を飲みに来ている。付近はあの泉そばには見られないような葦の茂みや潅木が岸辺に広がっている。  おそらく、この涸河の水はあの泉とは別のスウィートな水源からのものだろう。   泉から100メートルも離れた川岸、そこには「めだか」のような小魚が群れている。 サウディ・アラビアの各地のオアシスでは同じような魚が生息している。そこではなつめ椰子の林にかこまれ、泉の水は甘く美味しく魚が生息していてもおかし