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春だ、アラビアの海岸にイカが寄せてきた!

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   サウジアラビアの東海岸のカフジ、毎年3月になると気温もぐんぐん上がってきます。1月には17℃だったアラビア湾(ペルシャ湾)の海水温度も20℃近くなり、普段は何もない海底にはいたるところに海藻が生い茂っています。海の生物の動きも活発になってきました。いわゆる春の「のっこみ」シーズンです。  1998年まで10数年間私はこの地に勤務していました。 これはその時の記録です。  毎年、この頃になると私は毎朝、自分のオフィスから仕事には用のない造水部(当地は海水蒸留施設で飲料水を作っている)に電話を入れます。 海水取入れ口の海水温度を聞くためです。  係員が現在20℃と答えたら、しめたものです。この水温に達すれば 海岸にモンゴウイカ が産卵のためやってくるからです。 仕事はそっちのけで、なにやっているんでしょうかねえ、まったく・・・。 こんな所にも釣りバカ日誌のハマちゃんがいました。  甲の長さ (足を除く) は23cm、重さは1.5kgもある。  昼休みには、食堂で潮汐表を見ながら箸とペンを交互ににぎって食事、 まわりiの人々は、箸の手をとめて何と仕事熱心な奴かと、びっくりして見ています。    モンゴウイカ漁 は日没後の引き潮の時、水面をライトで照らしながらヤスで突いて獲ります。 どの日にイカ漁が可能か調べて出漁の予定をカレンダーに書き込んでいるのです。   わくわく     胸までのゴム長、強力なライトと近くを照らすための蛍光ランプ、網袋にヤス、それにバケツがイカハンターの装備です。日本と違って、沿岸警備隊の許可証も必要です。さもないと、海岸をうろうろする不審者と見なされ、発砲される恐れがあります。  イカは膝くらいの水深の岩場にいますからそこを狙うのです。   干潮の2時間前に出漁です。時間を間違えると、水が深くてポイントに行けません。潮が引きすぎてもイカがいなくなってしまいます。 波の強い時はイカの姿が見えませんから中止。  それでも、夜まで待ちきれません。 休日には昼間に海に潜って獲ります。日中、イカは深い所にいます。 しかし、難しいですね。 海中では擬態を張っていますから慣れないとどこにいるのかまったくわかりません。 身体から、いぼ状の棘を何本も出して、周りの岩とそっくりの色と姿になっています。  眼の前にいるヤツに気がつきませんでした。たちまち、墨を吐い

お気に入りの皿ほどよく割れる

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  永年愛用していた皿がまた割れました。あと、4枚しか残っていません。ルクセンブルグのメーカーのアカプルコ。 この皿との出会いは、私たち一家が30年前にサウジアラビアに赴任していた時のことです。ここでは、生活の無聊を慰めるため、日本人主婦たちがあつまって毎月マージャン大会を開いていました。 妻もここでマージャンを覚え、大会のブービー賞で貰ってきたのが一枚の皿でした。名前といい、また絵柄もラテン調で、はじめはメキシコ製かと思いました。しかし、よく見るとデザインだけでルクセンブルグ製でした。  アカプルコの明るく華やかな色彩。これが、当地の日本人主婦に人気があると知ったのは、知人の家の昼食に招かれた時、食卓にこの柄の食器がずらりと並べられているのを見たからです。  生活に必要な食器はいくらあってもよい。だから、マージャン大会の賞品として毎回幹事さんはこのメーカーの皿を選んできます。なるほど、この地のどこの日本人家庭にもある理由です。  「Aさん、Bサンのお宅もアカプルコの食器を揃えていますよ」  その一言で、我が家も一式をそろえる気になりました。      町の食器店にはこの色鮮やかな柄の食器が並べられています。 その中から、ポット、深皿、両脇に取っ手の付いたスープカップ、それに、マージャン大会で妻がもらった同じ皿を買い足し、6人分のセットを揃えました。  お客を招いても招かれても、どこでもお馴染みの皿が出てきます。 だから、テーブルを囲んでアット・ホームの気分になれるから不思議です。 東京から持ってきた、わたし達の結婚のお祝いにもらったノリタケのディナーセットは戸棚に仕舞われたままになってしまいました。  食器はやはり割れてしまうものです。その都度、妻は同じものを買い足していました。 1970年の終わりの頃のことでした。  地味な柄の皿の多い日本の食卓では派手すぎるかな、と思いましたが、東京に帰任してからも、我家ではこのアカプルコの皿は朝食のために使われてます。 毎日、花と鳥のデザインが目を楽しませてくれます。  時にはこの華やかな皿には夜食がラップをかけられ、残業で遅くなった私を待っていました。  あれから30年、我が家のアカプルコの食器は年が経つごとに少しずつ姿を消していきました。  2008年、ティーポット、深皿、サラダボールそれに4枚の皿、これだけが今残ってい