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ガダルカナル島の死闘記を読んで感じたこと

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ここに一冊の本がある。もうぼろぼろで表紙もなくなっているものだが、太平洋戦争中に陸軍報道班員の森川賢司氏が執筆したガダナルカナル島死闘記 「還らざる挺進隊」 である。戦後、たしか私が中学生の頃、父の書斎の棚から出して読んだ覚えがある。両陛下がパラオ共和国のペリリュー島などの激戦地をご訪問され、戦没者を悼むと共に遺族の苦難をしのんだこの折に、もう一つの激戦地ガナルカナル島の出来事を読み返す事とした。  西太平洋のソロモン諸島にあるガナルカナル島は太平洋戦争中の1942年(昭和17年)8月より日本軍と連合軍が激戦を繰り広げたところである。のべ3万人の日本軍の兵力のほとんどがマラリアなどの伝染病や餓死寸前の状態で戦闘できるものは3割に満たなかったという。  昭和18年8月30日に発行された本書に先立つこと6か月前、2月に日本軍はガダルカナルより撤退した。島から撤退できた兵士は約1万人、5000人が戦闘で10,000人以上が病死または餓死した無謀な戦いであった。  戦時中に出版されたこの本は、米軍基地に潜入し破壊工作を行う挺身隊、今でいう特殊部隊の出来事である。著者は任務を果たし帰還した中澤挺身隊、寺澤挺身隊の隊員たちより行動を取材し、続いて本題の還らざる大野挺身隊を記述している。  勿論、戦時中の事であるから、文中は戦争の高揚の文字に満ちてはいるが、意外にも日本軍の戦況が不利に傾いている食糧不足の記述が随所に見られる。知りえた真実を記者が報道するのはあたりまえの事だが、兵站は重要な情報、相手側には筒抜けとなったろう。なぜ、当時の検閲で差し止められなかったのか、撤退してから6か月たったので、ほとぼりが冷めたと考えたのか理解に苦しむが、大本営は戦場の兵士の苦闘と辛抱を国民に強調したかったのだろう。ただ、この情報がその後の南洋諸島の攻防戦に影響を及ぼしたのではなかろうか。  「やがて、五人の前に運ばれてきたのは、珍しくも定食二合の御飯である・・・二日の食糧に相当しているのだ。糧秣は次第に不足を告げ、多い時で兵隊一人一日分一合の米と一つまみの粉味噌であって、その他の副食物は何もなかった」  また、文中には思わぬ食糧を得て喜ぶ有様が書かれている。「敵の)陣地であるが、慌てて撤退したらしく罐詰などがゴロゴロ転がっていた。敵さんの贈り物だア・・・。敵の贈り物を拾い今日からルーズベルト給