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信用すべきは人であり、組織ではないー実際に見たアラブの格言

  アラブ社会に長年暮らしていると大変でしょうと友人から口々に言われます。たしかに40年前にはそう感じました。便利すぎる東京にくらべ、あれもないこれもない生活では帯同の家族の苦労も大変だったと思います。その後、私もご多聞にもれず花の単身赴任、身軽になったことは事実ですが、1991年の湾岸戦以降は中東も経済や社会のグローバル化、ボーダーレス化が進み、どこに住んでいようと変わらなくなったと思います。   日常品でほしいものは大抵手に入ります。最近の情報伝達網は目をみはるばかりで、世界中どこのニュースもオンタイムで見られますし、砂漠にいてもケータイで国際電話は東京と瞬時につながります。まったく地球は狭くなりました。 このように経済のグローバル化が進んでいる昨今でも、アラブ社会で仕事をやっていく上では、やはりその地の伝統的な文化や慣習を気にしなければやっていけません。  日本人とアラブ人の気質には同じようなところがずいぶんあります。個人ベースで根回ししながら仕事が進んでゆくところなんかは、よく似ていますよ 彼の地の格言には 「信用すべきは人であり、組織ではない」  また、「片手を貸してくれた人には両手を与えよ」と義理人情に篤いところがあります。親しい人が集まるお茶飲み仲間から物事は進展してゆくようです。ですから、普段の付き合いなしに仕事をやろうとしてもスムーズに運びません。お互いが助け合って生きてゆくのが砂漠のこの社会なのです。   お茶飲み友達のその場のとりとめのない話題は 、情報収集もかねてそれは将来への配慮の布石となります。これこそアラブのコミュニケーションならぬ ノミニケーション でしょう。  このような「根回し」は今はやりのグローバル・スタンダードというアメリカ的な経営手法にはマッチしないかも知れません。しかし、近代的なやり方を採用するとしてもその中には古き伝統がこれからもアラブ世界では続いてゆくことでしょう。

海王丸〔初代)が誕生した写真を見つけた!

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  海王丸 〔初代〕の試験航海の写真は昭和の初期から永らく我が家の書斎に飾られてきました。家を建て直したあとも、この古びたモノクロの写真は私の部屋でその優美な姿を見せています。海王丸は1930年(昭和5年)に建造された4本マストバーク型帆船です。大型練習船として多くの若者を「海の男」に育て上げました。その姿は海の貴婦人と呼ばれ、姉妹船の日本丸とともに戦後も人々に親しまれてきました。1989年〔平成元年〕に退役し 現在富山県射水市の海王丸パークで一般公開されています。 なお、現在は二代目海王丸が活躍中です。           昭和5年 公式試験航海中の海王丸  この初代海王丸について2008年9月1日に当ブログでご紹介した際、当時逓信省(今の国土省)技官であった父がこの船の試験航海の検査に立ち会ったのか聞いていないと書きました。 今年になって家の中の整理を始めた時、父の残したアルバムに海王丸の船体検査中であろう写真が見つかりました。その中には船上における若き日の父の肖像もあるので、なぜ、海王丸の写真が書斎に飾られていたのか納得出来ました。  その有様の一部をご紹介したいと思います。当時の世界で一流の造船技術を誇った日本、軍艦や客船の写真も出てきましたので、ご参考までに添えてみました。                                    付記: アルバムには他の船の姿もありましたので、ご紹介します。        進徳丸                                 文部省神戸高等商船学校練習船   補助機関付帆船29796号       SPMH  バーケンタイン  GT 2518頓 L 280.00   B 44.00  D 26.50    霧島丸                                                  船名不詳  スクリュー部分                        1万頓級巡洋艦 麻耶 の進水   艦名 不祥                      戦艦 陸奥   航空母艦 加賀     ・・・・・・・・・・・ 注:  昭和5年におこなわれた特別大演習観艦式のパンフレットも残されていましたので、そこから、アルバムの軍艦の写真(父が撮影したと思われる)の艦名をさがしました。