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消えてゆくソニーの旧本社ビル

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   ソニー創業の地とも言うべき東京都品川区の御殿山エリア。その旧本社ビルの取り壊しが始まりました。 永年見続けてきたこの建物の跡地は複合大型開発でオフィス、ショッピングセンターやマンションになるとのことです。ソニー本社はすでにJR品川駅のノッポビル群に移っています。 周囲の昔の面影はどんどん薄れていき、寂しいような気持ちです。  ソニーが発祥の地の日本橋から移転してこの御殿山で操業を開始した当時は、まだ、生々しい戦災の後も残る1946年(昭和21年)でした。鉄条網で囲まれたトタン屋根の社屋には 「東京通信工業」 の看板がかかっていたと記憶しています。  その頃、私は腕白盛りで、近所の悪童たちとよく鉄条網の隙間から工場内に入り、建物の裏のスクラップヤードにころがっているコイルやボルト・ナットを拾いに行きました。 守衛さんに見つかって 「コラッ!」 と怒鳴られほうほうの態で逃げ出したものです。鉄条網を潜り抜ける際、引っ掛けて破いたシャツを母に繕ってもらいましたが、どうして破けたのかは、黙っていました。  おもちゃがほとんど無かった戦後間もない時代、これらの戦利品は、メンコやベーゴマとともに私の机の中の宝箱におさめられていました。  1950年にはかつてのトタン屋根だったバラック工場は「山の上工場」と呼ばれた建物に代わりました。テープレコーダーが発売されたのはこの時期でした。  1955年、ソニーのブランド名のネオンが銀座に点灯しました。 ソニー株式会社と社名が変わったのは1957年のことです。私の家の中にもトランジスタ・ラジオやテープレコーダーなどのソニー製品が増えてきました。 カラーテレビを買ったときには、それまでの古いRCAのテレビで熱狂した力道山の姿はもうブラウン管には映っていませんでした。  新しい電化製品は次々と登場します。 銀座のソニービルの誕生と共に御殿山の本社ビルもいつの間にか、近代的ビルに変っていました。 [ソニー通りで待っててくれ」   友人との待ち合わせにはいつもこの言葉が交わされました。旧本社ビルが面している品川から五反田に抜ける道路には、いつのまにやら ソニー通り という愛称がつけられていました。 シェードがかけられ、解体を待つ建物  今やソニーは世界のソニーとなりました。古いものはどんどん消えてゆくでしょう。子供の頃に遊んだり、いつも自転車